小池都政と小池百合子さんを支持できない理由

まずは小池都知事が退院されたことをお祝い申し上げたい。

ただ、政治家としては支持できないため、心苦しい思いがある。

私は小池さんの秘書だったお坊さんで小説家の野口威光さんと、早川忠孝さんの勉強会で同席したことがある。当時の私はまだ若かったので、隣りにいてあいさつして下さった野口さんにしっかりごあいさつできなかった。

また先日は、西多摩選挙区の現職の都民ファーストの都議で、小池さんとも大変親しい元国税局で税理士の清水康子さんとも同席させていただいた。

この方も非常に優しくて、美人で、いつも笑顔であり、癒しと心配りのある大変素晴らしい女性である。

野口威光さんはその後、2017年に希望の党から衆院選に出られ、清水康子さんは今まさに都議戦を戦っている相手である…。

私が小池都知事を支持できないのは、まず、国会議員時代に移民議連の会長だったことと、竹中平蔵や橋下徹といった新自由主義者に深く共鳴していることが挙げられる。

つまり移民推進で、新自由主義だから、「菅義偉首相と全く一緒」だが、なぜかこの二人は仲が悪いという。

基本的に小池さんは、己の立身出世と名誉欲しかない「ノンポリの人」だと思う。

豊洲移転の延期を厳しく批判していた有本香さんや藤井聡さん以前に、石原慎太郎を支持してきた私は小池百合子さんには批判的だった。

私が小池百合子さんを警戒し始めたのは、舛添前知事が政治資金問題で騒がれていたときに、「舛添ウォッチャー」として都庁に来ていた2016年にさかのぼる。

テレビの情報番組で、東京選出ではない小池さんが都知事選に色気を見せていたインタビューを見て、「これはマズイ」と思って、当時の私は今よりも若かったので、なんとか小池都知事誕生を阻止するために、勢い余って都庁に行き、都選管の説明を聞いて、都知事選の書類を受け取った経緯がある―。

私が言いたいのは、正直、今の地方の自治体首長や地方議員なんて、できることが限られる高給取りなだけの名誉職に過ぎない。


「他国では地方政府の政策の中心であるのに、日本ではそうでもない政策もある。都市計画やまちづくりがそれであった。」

「日本の地方政府には歳入の自治がない。…地方政府の選挙では、増税・減税が争点になることはまずない。」

(「日本の地方政府」曽我謙悟著 中公新書)


 つまり、今の地方政府には課税自主権がなくて、2021年現在では、終戦直後のようには、ほとんどの自治体に都市開発する余地なんてない(逆に私の住むあきる野市以西は、東京でも珍しく都市開発の余地が残されている地域のため、私はあえて無名ながら都議選に立候補している)。

 私が生まれる前年の昭和47年には、「多摩モノレール構想」を打ち出した公明党の都議がいたが、そのような気概のある地方議員が今どれくらいいるだろう?

 無論、今となってはその必要がない地方の方が多いということだが。

 私個人は、現代の地方の自治体首長や地方議員の重要さそのものを疑問に思っていて、たとえば東京23区に都議と区議が両方必要あるのか? 二重行政ではないのか? もしくはお飾りに過ぎない都議に年2400万円もの税金を上げる必要なんてあるのかと思っている。

 

 だが、15兆円もの予算を自由にできる都知事のポストだけは完全に別格である。

 それゆえにそんなポストに小池さんが就くことは日本の破滅を意味する。


 あるいは、千葉県知事として、千葉の財政を悪化させた、「フェミナチ」と揶揄(やゆ)される堂本暁子知事の二の舞をイメージしたかもしれない。

 ただ、小池さんはそこまで左のジェンダー一色ではないが、それでも、「ダイバーシティー」を掲げているように、移民推進であり、渋谷のハロウィン暴動に象徴されるように、新宿を中心とした東京23区を無国籍化させてしまった。

 少なくとも尖閣購入や汐留開発などを進めた石原時代以降の都政は、矮小(わいしょう)化してしまった感が否めない。

 三島由紀夫に近い道徳観と政治思想の私が、私の主要な哲学の一つであるヘーゲルをいつも引き合いに出して、三島を愛していた「石原くん」の都政から激しく退化していく都政と都議会の姿など見たくない。

 猪瀬時代の五輪も、結局はIOCのVIPに貢ぐだけの東京都のお荷物となってしまった―。

 また、日本だけの道徳と社会秩序を破壊する方向性の、国連左翼が持ち込んだ、ヨーロッパ中で批判されている、キリスト教倫理を破壊するような、倒錯したスウェーデン左翼の、女性から男性を一方的にレイプ罪に問えるという「性的同意」の実現を目的とする、逆差別のための日本版SDGsや、極端なジェンダー、LGBTなどで、無哲学な都議たちがそれらを「自己目的化」して、思考停止しながら、回りのムードだけに浸って、「私頑張ってます」と思い込み、あるいは「自己正当化」して、鈴木章浩都議のような、先輩の身代わりになって名乗り出て、謝罪している人を、道徳なく、赦(ゆる)しなく、個人糾弾して攻撃して、吊るし上げている―。

 また、都議の質問を一つ一つ見ても、三橋貴明さんの言うような、急がなければならない中小事業者に対する粗利補償などのような、都民に必要とされるテーマではなく、このような自己目的化かつ偽善的かつ無意味な質問ばかりで、全く何もできていない。

 要するに年2400万円も手にする都議の存在自体が、儀式化、形式化、やってますよアピールであり、最大の無駄である。

 さらには15兆円もの予算で、何でもできる東京都の都知事の方が、ノンポリの政治屋が首長になってしまい、自らのパフォーマンスのために放漫財政をしてしまった。

 ひろゆきさんにも厳しく批判されているが、小池さんが注目されるためだけに費やされた、豊洲の移転延期だけで95億円が注ぎ込まれ、また、コロナ対策でも2兆円が使われていて、都ファの都議はそれを誇るが、結局は、小池さんと全く同じスタンスの菅官房長官(当時)による「Go To」によって再拡大したため、無駄となり、かつ出口戦略もない。

 そして、そもそもが2兆円のコロナ対策として使われた協力金の大半が、都心に店を構える飲食業が支払わなければならない地代・家賃に消えてしまい、つまりは都心に土地と不動産を持つ大金持ちを優遇しているだけなのである。

 また、コロナ以前の2019年から、都は、あきる野市(西多摩)の土地区画整理事業の予算を25%も減額しているのである。

 こうした己のスタンドプレーだけのために、合法的に、何のコンセプト、哲学なく、都の潤沢な予算を無駄遣いする都知事の暴走を止めなければならないのである。

 無論、小池さん以降は、日本には、国民民主党に代表されるように、さらに無哲学で、ジェンダー一辺倒の人権主義の政治家しか見受けられないので、事態はさらに悪化の一途を辿っていくのである。


「道徳」で新自由主義と人権主義から日本を守る / 哲学者 高沢かずなり

「哲学と道徳のある政治」で、新自由主義と人権主義、中国化から、日本の領土領海、生命財産、戸籍、道徳(社会性)を守る。

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