■都議選に立候補して、2126票、3%を得票
「新人・無名・無所属・支援者なし」で、西多摩選挙区から東京都議会議員選挙に立候補して、2126票、3%を得票した。
(顔写真は私ではない感じもするが…)
2021東京都都議会議員選挙 落選した主な候補者
末武あすなろ れいわ・新 36歳 元劇団員 足立区 7,996(3.5%)
高沢 一成 無所属・新 47歳 哲学者 西多摩 2,126(3.0%)
関口 太一 国民民主・元 45歳 元区議 世田谷 7,859(2.4%)
遠藤 史啓 テレビ改革 35歳 会社社員 武蔵野 1,229(2.1%)
藤川 広明 テレビ改革 48歳 会社社員 江東区 3,342(1.9%)
松田 美樹 嵐の党・新 34歳 元区議 練馬区 3,669(1.4%)
中根 淳 国民主権・新 48歳 シェフ 杉並区 2,439(1.2%)
井田 恵介 嵐の党・新 29歳 音楽家 豊島区 1,069(1.1%)
黒瀬 信明 嵐の党・新 36歳 元会社員 葛飾区 1,497(1.0%)
後藤 輝樹 諸派・新 38歳 印刷業 葛飾区 1,326(0.9%)
河合 悠祐 諸派・新 40歳 会社社長 葛飾区 929(0.6%)
押越 清悦 諸派・新 62歳 NPO 八王子 1,048(0.5%)
片岡 将志 嵐の党・新 26歳 配信業 大田区 1,012(0.4%)
「たった2126票しか獲れなかった」とも言えるが、それでも次の二つのことは確実に言える。
①「自民」(「公明」推薦)、「都民ファースト」、「立憲」といった誰もが知る大きな国政政党、地域政党ではなく、「私」という無名の一個人に対して2126票、3%も入れた人がいたということ。
②投票日は一日中雨だったにも関わらず、政治に関心があって、自民(公明推薦)、都民ファースト、立憲以外に入れる人が3%もいるということ。
そして人生初めての選挙を、私はあえて「大惨敗の勝利」と形容する。
理由は得票率で、私を公認しなかった国民民主党の候補者に勝ったためである。
高沢 一成 無所属・新 47歳 哲学者 西多摩 2,126(3.0%)
関口 太一 国民民主・元 45歳 元区議 世田谷 7,859(2.4%)
関口太一氏は私より何千億倍も有利な立場であった。
国民民主党は国政政党であり、連合という組織のバックアップに、数十億円という潤沢な政党交付金があり、すべて何もかも党の運動員がやってくれていて、かつ4月の段階から、世田谷の全戸にポスティングをかけ(これが一番大きい)、ビシッとしたスーツを着て、主要駅前で国民民主党の表示物を立てて、ビラ配りをしている様子をツイッターで横目に見て、さらに選挙期間には玉木雄一郎と一緒に選挙運動を行うなど、完全に一人で、しかも2週間前に立候補を決断した私とは雲泥の差だったが、結果としては、私が3.0%で、関口氏が2.4%であり、投票日に雨が降らなければその差がさらに開いていて、私を門前払いした国民民主党に対しては、乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝利だったと言えるのである。
逆に関口氏は元区議で、つまり前職でもあり、100%、100対0で私に勝たなければならなかった。
れいわと国民民主党は都議会の議席を獲得できず、国政政党で億を超えるお金があるにも関わらず、無名で支援者のいない私一人と同等の戦いしかできず、それだけ大惨敗だったのである。
逆に言えば、国民民主党、そして関口氏のこの大敗は関口氏一人の責任では全くなく、実子の親権を奪い取った不倫相手の妻が自殺するなど、倫理的な大問題を起こしたにも関わらず、メディア対応を一切行わなかった山尾氏の責任が大きいと言わざるを得ない。
そもそも私は昨年に玉木雄一郎代表が、三橋貴明氏のYouTubeに出演して、経済政策で意気投合していたので国民民主党の公認を求めていたのだが、私が公募に選ばれなかったことは、私が同党に対してコネがなかったという一事であり、その事に対する恨みは全くない。
むしろ、私の公認が断られた数日後に、週刊文春で山尾志桜里の不倫相手の奥さんが自殺してしまったという報道が出て、山尾氏もマスコミの取材に応じないため、同党を完全に支持できなくなってしまった。
また、今、私が国民民主党を厳しく批判しているのは、私が公募に選ばれなかったためではなく、今年に入って玉木雄一郎氏が極端なジェンダーに走っていることや伊藤孝恵議員の感情的な法権力の拡大の政策に対する反対によるものである。
大言壮語かもしれないが、事前のポスティングをしていないなど、全く何も準備していない状況で、福生、羽村、あきる野市という都市部、住宅地で、3%も取れたことは、手ごたえのある選挙と言える。
私は哲学者であり、道徳を重視しているため、それらの理解がない政党・政治団体からも公認をもらえず、2週間前にたった一人で無所属で出る決心を固めて、実家に近い福生市牛浜の法務局で60万円を寄付する気持ちで供託し、羽村市役所の分庁舎で2週間遅れの事前審査を受けた。
自民、都民ファースト、立憲が、立候補予定者説明会から立候補届出を含め、ありとあらゆる政治活動、選挙運動を多くの運動員たちに任せっきりの中、私は選挙ビラの作成から、公報と選挙広告の作成、選管や選挙業者とのやりとり、ポスター貼り、出納(すいとう)責任者まで、何から何まで自分一人だけで行って、ついに最後までやりきった。
また、自民(公明推薦)、都民ファースト、立憲の都議選の候補者の2連ポスターは町中に一年中貼ってあって、「そんなもんだろう」と思っていたが、都議選が終わった途端、それら町中の一般市民の家の壁などに貼ってあったポスターが町中からすべてなくなっていたため、「私一人に投票させないためだけに」西多摩の住民が意図的に貼ったことに気づいて愕然とした。
それだけに、哲学と道徳を知らず、新自由主義で外資と大企業だけを優遇して格差を拡大させて、国民を貧困化させ、かつ人権主義で日本の道徳と社会秩序を破壊して、女性などをモンスター化させて日本を破壊する既成政党に対して完全に怒り心頭となった。
事実、収支報告書を提出した際に、町中に3候補者のポスターがずっと貼りっ放しになっていることについて羽村市の選管に直接尋ねてみたところ、「撤去をお願いしている」とのことであり、「罰則のない違法行為」であることに変わりはない。
また立憲は、告示日のだいぶ前から告示日前日まで選挙カーを回していたし、都民ファーストは、「私はすべてのことを完璧にやっています」と言わんばかり(実際はコロナの前から西多摩の補助金は減額されているのだが)の小池百合子と一緒に映ったリーフレットを告示日2~3日前に全戸配布するなど、卑怯極まりない人海戦術を駆使しており、自民の候補にも公明党が推薦に付いていて、西多摩に多くある老人ホームから投票所までバスで送迎しているという話もあるため、選挙戦をやる前から結果は出ていたという選挙ではあった。
そして、天は我に味方せず、投票日に一日中雨が降ってしまい、私は当日のうちに雨の中、地元の八幡神社に行ってお参りもしたが、4年前の都議選から西多摩選挙区だけで2万5千人も投票者が減ってしまい、当然、今回投票に来なかった人たちの大半が既成政党に入れる組織票ではない無党派層、浮動票であるため、無所属の私に大きく響いてしまい、法定得票に達しなかった―。
今の時期のように雲一つない天気であれば、5000票は取れていたと豪語する。
だが、それでも組織を持つ既成政党には遠く及ばず、当選には遠く及ばなかったのである。
私の場合は、ここ数カ月は一日中X JAPAN の「ART OF LIFE」を聴きながらの、完全に一人による、45歳で自決した三島由紀夫を意識した人生最後の戦いとなった。
ただ、市ヶ谷駐屯地に籠城・自決した三島由紀夫ですら、多くの同志がおり、ある種の集団心理の中で、理念を共有できる仲間や支持者がいたわけだから、そういう意味でだけは、「完全にたった一人で決断して、戦った私の方が上である」という矜持(きょうじ)はある。
父が死に、北海道に帰る場所もなくなり、この年になっても一切彼女もできず、空しさとともに十分に生きた。
マスコミの道徳全否定の流れの中で、新しい本を出版させてくれる出版社も見つからず、諦(あきら)めと空しさと怒りが私の中にはあった。
491カ所という途方もないポスター貼りの大半に、車を出してくれた身内を巻き込んでしまったのは申し訳なかったが。
だが福生市、羽村市、あきる野市、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原(ひのはら)村といった一番広い選挙区で十分戦えたわけだから、衆院選も十分戦える。
つまり、衆院選はこれに昭島市と青梅市が加わるだけだから。
まして西多摩では立憲が今回の都議選で、なんと野党共闘で2万票(3万5千→1万5千)も減らしているため、衆院選での立憲の公認候補である島田幸成氏の惨敗は確実となった。
つまり、「私が出なければならない選挙である」と認識している。
ただ、目前の衆院選で前回11万票も獲得している麻生派の井上大臣に勝つには、供託金300万円と、事前に西多摩全域にポスティングをするなど、選挙資金1000万円が必要であり、それなりの人手も必要だ。
都議選で、供託金60万円とポスター・選挙ビラ代16万円の計76万円が返ってこなかった今の私にとっては非常に厳しい状況である。
政治団体を立ち上げて、支援者から寄付を募(つの)れば不可能でもないが、それでも1000万円も集まるわけはないし、仮に政治団体を立ち上げたとしても、無所属で出て、何の色も付いていないことで得票できた私とは違い、籠池夫妻と親交のある押越氏など、独自の政治団体を立ち上げている人たちは軒並み1%を切るような大惨敗を喫している。
豊島区議で、人気ユーチューバーでもあるくつざわ亮治氏が率いるテレビ改革党ですら、得票率は2%ほどであり、無名にも関わらず3%を得票した私一人に及ばない。
今の時代、独自の政治団体や、街頭の路上パフォーマンスによる「悪目立ち」は、近年「ひんしゅく者」になってしまったN国党(=嵐の党)などの影響によって、全く票に結びつかないどころか、完全に票が逃げてしまい、逆効果なのである。
また、デフレで国民が貧困化している今の時期に、山本太郎さんのように臆面もなく国民から寄付をもらおうという気には到底なれない。
やはり選挙資金1000万円は、この2、3カ月ほどで、カイジが如く、自分で稼がなければならない。
まして、財政出動を掲げた国民民主党とれいわ新選組は、億単位の政党交付金と強大な組織があるにも関わらず、都議選で一つも議席を確保できず、「新人・無名・無所属・支援者なし」の「四重苦」のこの私と同程度の得票しかできなかった候補者もいるなど、大惨敗を喫しており、道徳を否定した人権主義の流れに与(くみ)するこの二つの国政政党の大敗は、どんなに控え目に言っても、道徳を信条とする私の時代の訪れを予感させるものであろう(ちなみに国民民主党とれいわ新選組は、過去に私を公認しなかった)。
無論、一回の選挙で、日本国民を貧困化させている麻生派の中心人物である大阪万博担当大臣、井上信治に勝てるとは思っていない。
世襲で地盤のある森喜朗や、「選挙の帝王」である上田清司ですら、最初の国政選挙は負けている。
あくまで数年後の議席獲得のための土台作りであって、井上信治より若い私が勝つには時間がかかるのだ。
だが出なければ話にならない。
幸い前回の選挙から西多摩の中ではネットの影響が強い都市部である昭島市が加わっている。
事実、前回の選挙では麻生派である井上信治は昭島市で伸び悩んでおり、財政出動である私が多くの得票が期待できる貴重な自治体である。
まして井上の乗った車が昭島市で人身事故を起こしており、重傷を負わせてしまった。
三橋貴明氏などの財政出動の学派が大勢(たいせい)を占めるネットの影響が強い昭島市は、日の出、檜原(ひのはら)、奥多摩のように井上が盆踊りさえ踊っていれば安易に得票できるというやわな自治体ではない。
選挙の詳細をここで書けばきりがない。
ただ、私は衆院選出馬を目指してはいるが、仲間がなく、お金もない。
それが正直なところである。
だが選挙公報で「哲学者が西多摩から日本を守る!」と銘(めい)打った都議選で気は吐いたし、それなりの力は示せた。
■都議選に出なければならなかったもう一つの理由
(写真左下から従兄、義理の伯母(従兄の母)、母方の祖父、母。左上が父)
どこからの公認もなく、たった一人で都議選に出た理由の一つには、(写真左上の)父が昨冬にコロナに院内感染して他界したことが第一の理由であることは間違いない。
だが、もう一つの理由がこの「写真」にある。
私は皇統を守るために何としても奥多摩に行かなければならなかった。
(中略)
無論、皇統とは言っても皇室の男系とは直接的には関係ないが、一つだけ奥多摩とのつながりを言うと、皇室の最高齢である三笠宮妃百合子さまの父、高木正得(まさなり)子爵がこの地に眠っているためである。
(中略)
現在の皇室は後花園天皇(伏見宮家、在位1428-64)の流れを汲(く)み、つまり「伏見宮家」の皇統であって、竹田恒泰さんの流れと同じである。
だが竹田家と皇室との男系のつながりは15世紀まで遡(さかのぼ)ってしまう。
竹田恒泰さんは「明治天皇の玄孫(やしゃご)」というふれこみだが、それはあくまで女系の話であって、(中略)。
大変大きな顔をしていて大変傲慢な人たちが多い現在の保守論陣、皇室ジャーナリストは、私から見て非常に物足りないが、男子が3人もおられた三笠宮家が断絶してしまったことが現在の男系を危うくさせている第一の要因であることは間違いない。
テニスが得意であり、日本が初出場した98年のフランスのサッカーワールドカップを観戦された高円宮さまの死は衝撃だった。
また、麻生太郎の妹の信子さまには男子のお子がなく、寛仁親王(高円宮さまの兄)も看病もされなかったという。
そのため、信子さまと実子の女王二人は不和だという。
そして、華族制がなくなったため、帰るべき家がない百合子さまと違って、「麻生家」という帰る場所があるにも関わらず、皇室と麻生家のつながりのためか、臣籍降下もされていない。
※2020年末の対外純資産は356兆9700億円
新自由主義、水道民営化、緊縮増税、アフラック、ロスチャイルド家…。
純粋に三笠宮家、引いては皇室の権威を政治利用されたくないのは、私の当たり前の信条だ。
まして私の選挙区は、麻生太郎の右腕である麻生派のホープ、井上信治大阪万博担当大臣という因縁(オマケ)付きである。
井上は、都議選の現職である田村利光を支援し、さらには私の住むあきる野市の市議選にも、秘書を二人も送り込んでいる。
私には「皇室を守らなければならない」という使命感があったので、他の人とは比べ物にならないモチベーションがあったことが出馬の何よりの理由であろう。
無論、私は日本と道徳も守らなければならない。
そうした使命感は、三島由紀夫に引けを取るものでは全くなく、ただ一人であっても、X JAPAN の「ART OF LIFE」を胸に何のためらいもなく、戦えることができたのである。
ここでスピリチュアル的なことを書くわけにはいかないが、単刀直入に言って、私は奥多摩に三笠宮妃百合子さまの父、高木正得(まさなり)子爵の慰霊碑を建立(こんりゅう)すべきと思う。
高木子爵が死ぬ間際まで愛された奥多摩の地に。
そのために私は都議選に出て、奥多摩の町中の要衝(ようしょう)に立てられた掲示場を、自分で探して回り、自分のポスターを貼っていくことで、私が生きているうちに、奥多摩町の隅々まで見て回ることができた。
選挙期間の実に3日を奥多摩にかけたにも関わらず、奥多摩町ではたった13票しか得票できなかったが、私に投票して下さったこの13人の方は非常に貴重であり、日本の再生の始まり、きっかけ、出発点、最初の一歩であると認識している。
日本の貿易収支は3832億円と好調なものの、五輪によって、コロナの感染が気温が下がるにつれて急拡大して、今秋、今冬に日本は終わるだろう。
そして、少なくとも中国共産党が望むかたちで、五輪とSDGsによってテレビやネットを中心に堅固となった人権主義によって日本は解体、分裂、アトム化して、日本は終わるだろうという話をした。
しかし、奥多摩は日本回復の一つの始まりでもあった。
「日本の終わりと始まり。」
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