■百田代表宛て、日本保守党に入党。自民党の崩壊と今後の日本の舵取りについて。
今年も残すところ今日を入れて3日(12月29日現在)。
今の日本についてザックリ解説していきたい。
自民党安倍派のパーティー券裏金問題の捜査が続いているが、そんな中、私は12月20日に日本保守党に入党した。
百田尚樹氏の政策に共鳴し、私もLGBT法案廃止を一丁目一番地に置いているためだ。
(朝日新聞 2023年12月24日)
そして衆院選東京25区からの公認希望も一応お伝えした(※ 本記事を紹介したYouTubeに否定的なコメントしか付かず、慢性的な脳のしびれなど体調不良、一身上の都合により、公認申請は撤回)が、当然、私では分不相応なので、あくまで今の時期から「ボランティアがしたい」、「のぼりを持って駅頭に立ちたい」、「ビラ配りをしたい」という思いだけであり、具体的に公認をいただいて選挙に出ること自体は夢のまた夢である。
ただ、百田さんに知ってほしいのは、衆院選では自民党の井上信治のポスターが、都議選では都民ファーストの清水康子のポスターが、一年中町中の至る所に貼ってあり(厳密には公選法違反)、選挙区も広いため、今から動かなければおおよそ間に合わないのである。
また東京25区には、保守党と競合する参政党の候補者がおらず、八王子で圧倒的な得票を誇る萩生田光一がいる24区など、他の選挙区と比べても、有力な候補者がおらず、現実的に当選しやすい、与(くみ)しやすいというのももちろんある。
25区は20年も麻生派の井上信治元大阪万博担当大臣を選出しているが、麻生派財務大臣の緊縮財政と自民党の大店立地法によって西多摩地域は著しく衰退、疲弊し、井上が住む青梅市と彼の事務所のある羽村市の駅前はシャッター通りとなっている。
また、西多摩は立憲がおそらくは事業仕分けで林業の予算を削ったイメージが強くて、年々得票数を大きく減らしており、市議選、都議選ですこぶる弱いが、2021年の衆院選では立憲の島田幸成氏が井上氏との一騎打ちに善戦して多く得票できた。
これは裏を返せば、西多摩で全く票を取れない立憲といい勝負をする井上が、他の自民の候補と比べて非常に弱いことを意味する。
また、西多摩は高齢者が非常に多く、都知事選では、舛添氏と小池百合子氏が最も多く得票した選挙区だが、2021年から都市部の昭島市が東京25区に編入され、井上は昭島市で票を取れておらず、ネットの影響が強い若い有権者が増えて、緊縮増税の麻生派に所属する井上を敬遠したということもあるだろう。
そして維新に近い麻生派のホープ、井上が大臣を務めた大阪万博には3000億円以上もの税金が費やされるが、私の住む都内で最も財政状態が厳しいあきる野市は国と都からさらに2億円もの補助金が削られたため、やむなく都議選に立候補した経緯がある。
また、私が完全に分不相応とは言え、泉健太、山本太郎、柿沢未途(逮捕)、秋元司(逮捕)、秋本真利(逮捕)、河井案里(逮捕)、石垣のり子、山尾志桜里(実子を奪われた不倫相手の奥さんが自殺)…と、私と同世代の日本の国会議員は全く支持できず、道徳倫理に理解のない人しかいないため、「完全な消去法で仕方なく私が立つ以外ない」というのもある。
逆に、自民党でも、私よりも上の世代では青山繁晴、高市早苗の二人は政策的に完全に支持できる。
ただ、この二人は自民党においては派閥に属しておらず(安倍氏とのつながりが強かった高市氏は入閣しているものの(客寄せパンダの人気取りに利用?))、完全に少数派であり、異色、異端な存在だ。
私が保守党に入って政治活動を始めたいのは、無哲学・無思想のためにアメリカの左翼政権のLGBTに100%屈服して、忠犬に徹し、完全に倒錯し切った人権主義に傾倒する「極左・利権・裏金集団」と化した戦後最悪とも言える自民党政治に引導を渡すための下地作りをしたいためだ。
この認識は日本保守党の代表である百田尚樹氏はもちろん、藤井聡氏とも相違ないと思う。
ただ、「人権主義に対する批判」を言うと、Xでは全く誰からも理解されないが、これこそ日本が完全に消えてなくなる前兆であり、証である。
なぜなら故・西部邁(にしべ すすむ)氏が著書『国民の道徳』において「道徳を破壊する…それが人権主義」と言って、以前から人権主義に対して警鐘を鳴らしていたからである。
「歴史のなかに道徳の基準を探すことを道徳的犯罪とみなすような人権主義までもが跋扈(ばっこ)する仕儀(しぎ)となったのである。…道徳を破壊する道徳、それが人権主義」(西部 邁 著 「国民の道徳」産経新聞社)
事実、日本が高度経済成長で繁栄を極めていた70年代から90年代頭あたりまでは、男女共同参画に代表される極端な人権主義は日本社会においては今日のようには支配的ではなかった。
「Xの皆さんは日本がなくなることに賛成ですか? 」
産経新聞社論説委員の阿比留瑠比(あびる るい)氏は、日本の人権主義左翼が自らのイデオロギーについて大義名分化している「多様性」について次のように言っている。
「私、本当に危険だと思うのは、『多様性』というと誰も否定できないですけど、多様性は突き詰めると、集団やグループ全部がなくなって、みんなバラバラになっちゃうんです。
それって誰が幸せなのって話なんですよね。
もちろん、ある程度、多様性は認めるというのは誰しも思うけど、絶対善みたいに扱っちゃいけないと思うんですよね。」
つまり阿比留氏は、多様性が普遍的な価値ではないと言いたいのであるが、全くその通りであり、それは我々が全く論じる必要のない単なる同語反復に過ぎず、つまりすべての存在は左翼に言われずともすでにして最初から多様であり、それ自体、普遍的であるためである。
また、美輪明宏さんも「多様性」という言葉を使われるが、あくまで美輪さんが言われるのは、人の道(道徳)を前提とした多様性であって、そもそも道徳のない多様性は理論的に言って、児童虐待を99%推奨することになる。
なぜなら、平成30年(2018年)に児相が対応した児童虐待は15万9850件であり、そのうち摘発されたのはわずか1380件であり、児童虐待の99%以上は摘発されず、つまり合法(自由、多様性の範ちゅう)と見なされるため、事実上、児童虐待の99%以上は<相対悪をしないという>親の道徳でしか制限できないためだ。
つまり、摘発されずとも、児童虐待を良しとするような、非道徳的な多様性はおおよそ善ではなく、認められないのである。最近では迷惑系ユーチューバーや私人逮捕系ユーチューバーも、検挙されるまでは多様性として許容されてきたのである。
したがって、「多様性=(左翼が絶対に認めない)道徳」にならなければならないのだ。
「他人の幸福に対する当然な配慮を欠いている…このような場合は、その反則者を…世論によって処罰することは正当であろう。」
「他人との交渉における虚偽やうらおもてのあること、他人に対する優位を不当に、もしくは無慈悲に行使すること、また、利己のために、他人の蒙ろうとする損害を防ごうとしないことでさえ、―すべてこれらの行為は、当然に道徳的非難を受くべきものであり、また重大な場合においては、道徳的報復と刑罰とを受くべきものである。」(J.S.ミル著 塩尻・木村 訳 「自由論」)
「自由論」で有名な社会思想家のジョン・スチュアート・ミルですら、左翼が押し付ける多様性がたとえ合法であったとしても、それが非道徳であるなら、道徳的非難や道徳的刑罰を与えるべきだと言っている。
そしてここで言う道徳とは、日本の知識の乏しい全マスコミや左翼が考えているような、内心に踏み込むような絶対善や相対善の押し付けではなく、絶対悪や相対悪をしないこと(自由の制限)であり、哲学(ヘーゲル)や社会学(デュルケム)で言うところの「社会性」である。
いかなる反社会的な多様性も社会は決して容認してはならないのである。
逆に言えば性的マイノリティーに対する差別は、差別する側に対して、社会学の代表格であるデュルケムの言うように道徳教育によって説得したり、フランス共和国憲法の道徳である博愛(友愛)のような概念によって和解する以外ないのである。
つまり日本の場合は村八分のような悪しき慣習よりも、道徳を優先すべきであるのだ。
まして日本は古くから同性愛を容認してきた歴史があり、キリスト教国でも、イスラム教国でもないため、バイデンやエマニュエル風情(ふぜい)が押し付けてくるようなLGBTなど完全に不要なのである。
都議選の選挙公報にも出したが、私はこの国を1980年代以前に戻そうと考えているだけである。
高法人税で、消費税がなく、SDGsやLGBTといった、日本の社会を分断する不要な人権主義もない(※ 日本版SDGsはジェンダー平等という大義名分で、男性を一方的にレイプ罪に問うことを可能にする国連左翼とマスコミの押し付けである性的同意の抱き合わせ商品)、中間層が分厚く、内需主導で成長していた時代に。
そして基本は藤井氏の言うようにLGBTに代表される人権主義とは日本社会の分断と社会秩序の破壊であり、外圧であり、アイヌや性的マイノリティーの権利拡大に伴う、日本人や日本人男性、日本人女性に対する逆差別、さらには外国企業や移民の権利拡大であり、また、外国人参政権などは、青山繁晴議員が警鐘を鳴らすように、日本の極端な少子化に付け込んだ中国人移民の流入と土地買い占めと相まって、中国によるオーストラリア支配計画と同様に、明白なサイレント・インベージョン(目に見えぬ侵略)である。
また、須田慎一郎氏やつばさの党によれば、自民党の県議会のドンが埼玉で成立させようとした虐待禁止条例は、米国や国連左翼の人権主義の外圧に便乗した、家政婦業界(ベビーシッター、学童保育)のための利権であるとも指摘される。
無論、アイヌ新法も、デイビッド・アト キンソンと共に極端な新自由主義を進める菅義偉の利権であり、さらには原発再稼働を進める岸田首相とは正反対の太陽光発電もまた、テクノシステムに代表される小泉純一郎・進次郎父子(おやこ)の利権である。
つまりは哲学や普遍的な道徳倫理を知らない国連左翼に、同じくそれらを知らないマスコミ共々便乗して、日本の文化伝統や社会秩序を破壊し、道徳倫理を粉々に破壊して社会問題を深刻化させながら、国民の税金、公金、予算の奪い合いをしているというだけなのである。
また、岸田政権は萩生田光一・稲田朋美らに指示を出して、女子トイレを廃止することで国民からの反対が根強く、自民党内でも半数以上が反対するLGBT法案を推進しつつ、極端な韓国寄り、かつ、首相の最側近の林芳正氏が中国寄りであり、著しくバランスを欠く、完全に常軌を逸した極左・亡国政権である。
しかしながら、岸田政権が外圧に屈服する一方で「少しでも良いことをしよう」と定額減税を打ち出した途端、三橋貴明氏によれば、前々から財務省によって仕組まれていた神田憲次財務副大臣のスキャンダルがリークされて、減税を嫌う財務省から攻撃されたのだという。
まさに存在意義が微塵もないのが今の岸田政権。
日本の総理大臣とは、まさに三橋貴明氏が言うように「空虚な器」である。
私のように始めは日本の国益だけのために相当大きなことを言っておかなければ、やりたい政策なぞ、みな根こそぎにされて骨抜きにされてしまう。
そもそもが岸田政権自体が完全に傀儡(かいらい)であり、安倍派と麻生太郎の二大勢力の支持基盤によって成立した「つなぎ」の政権に過ぎない。
今回のパーティー券の問題以前に、木原事件もあった(全く木原誠二の事件ではないが)。
そして定額減税に対して、財務省から突き上げを食らった、税金を全く納めていない神田副大臣の辞任があって、岸田首相は衆議院の解散を先送りにしたが、もっと大きな不祥事がその直後に起きてしまった。
江田憲司議員が「岸田首相は外務大臣が長かったことが災いしている」と指摘しており、それによって、極端な人権主義を採るバイデン政権、そして中国、韓国といった周辺国の言いなりに完全に成り下がっており、主権国家足りえず、日本の国益を大きく損ねて、美辞麗句の取り繕(つくろ)いだけで、国家の主体性すら危うくさせる、世襲貴族の無哲学・無思想な「完全に愚鈍忠犬」である。
私は2000年の宏池会の公募に応募したが、創立者である池田勇人の所得倍増どころか、まさかここまで落ちぶれ果てるとは思わなかった。
まさに自分の食い扶持(ぶち)のためだけに総理をやっている職業総理であり、日本のために命を賭けることはおろか、日本社会の最低限の社会秩序を守る気概すら完全にゼロなのである。
無論、きょうび、「日本のための政治家になろう」とすれば、アメリカに対して矛盾点を指摘して、財務省の佞臣(ねいしん)たちからワインを飲まされて泥酔状態になった中川昭一のように早死に、変死する。
そんなことは江原啓之さんが著書「言霊(ことたま)のゆくえ」でも指摘しているほどだ。
「アメリカと仲良くなる人は、政治家でもなんでも生き延びていきます。
…アメリカを突っぱねる人たちばかり政界の表舞台からは消えているのです。」(江原啓之 著「言霊のゆくえ」)
積極財政の小渕恵三や、竹中平蔵ら日本郵政の資産を安く買って高く売り抜けようとするレント・シーカー(利権をむさぼる人たち)から国の資産であるかんぽの宿のダンピングを阻止しようとした鳩山邦夫も早逝してしまった。
唯一生き残っている日本の国士(こくし)は警察官僚出身の亀井静香くらいだ。
まさに亀井静香は国士無双。
だが、私は亀井静香の力強さを補って余りある哲学と信念と感性とを併(あわ)せ持つ。
私は2008年に亀井が作った広島空港に降り立ち、広島大学で行われた日本哲学会に初めて出席した(その亀井静香の地元で、私は短時間の滞在ながら、聖パウロと同じ奇跡的な体験をしたので非常に思い出深い。私個人の中では、まさに「サウロ(聖パウロ)の改心の地」であり、その後の平和記念公園での奇跡的な体験と相まって、まさに「広島の地にイエス・キリストがいた」のである)。
今の日本には新自由主義の外圧や財務省と戦うために、何百人分の亀井静香が必要だ。
人権主義と戦うためには、石原慎太郎や百田尚樹さんが何百人も必要だ。
中川昭一のように変死しても、次々量産していく以外ない。
たとえ殺され続けても、高市早苗張りに、日本国民の民意の元、全く真実を報道しないNHKや民放の放送免許を取り消して、高須院長のような日本のことを考えるスポンサーが付く代わりの民放に『ニュースあさ8時!』、『虎ノ門ニュース』、『百田尚樹チャンネル』、『三橋TV』、『ニッポンジャーナル』、『チャンネル桜』、『別冊!ニューソク通信』、『ニュース女子』、『チャンネルくらら』、『我那覇真子チャンネル』を放送させて、後進を教育させ続けていく。
今の日本に山のようにいるビジネス保守のようにYouTubeで小銭稼ぎしている場合じゃない。
ネットを一切見ない3627万高齢者もガシガシ開拓して、開眼していただく。
亀井静香の派閥、志帥(しすい)会も、田中角栄が1983年に新進気鋭の新人候補として紹介していた二階俊博という変異種に代替わりして、特捜部の捜査を受けている。
二階俊博も亀井が山賊と評すように大した男だが、親中であるため、かつて私が支持していた新党くにもりから攻められている(私は我那覇真子さんを擁護したため、入党できず)。
ところで志帥会には、伊吹文明というバランス感覚のある理性的で紳士的な、優れた政治家がいて、彼が文科大臣の時と私が道徳の本を出した時の二度、お返事をいただき、上田清司と同様に、道徳倫理に理解のある数少ない政治家だった。
そもそもアメリカ自体も、全米ライフル協会はともかく、宗教倫理を重視するトランプが健在であり、デサンティスなど、宗教倫理を全否定する極端な人権主義に「ノー」と言う政治家も多く、国論を二分しているのだ。
その上、コロナ禍に便乗したワクチン利権の強大な外圧も日本の国益と生命とを脅かしている。
また麻生派の重鎮である鈴木俊一財務相が「約6500億円ウクライナへの追加支援を行う用意がある」と表明した(12/20(水) 女性自身)が、いったい日本は誰のための誰の国なのだろうか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/10254cc68e05bf8bb35a942f54cd318fcd821427
そんなに日本とは全く関係ない、高校の世界史の教科書にすら載っていない国にバラまくお金があるなら、北方領土も取り戻せそうだ。
無論、日本に石原慎太郎以上に強硬な、核を保有する常任理事国ロシアの戦闘機を撃墜させたトルコのエルドアン首相のような傑出したリーダーが必要だが、イージス艦と日本の戦闘機が日本領である北方領土周辺に向かえば、当然、プーチン大統領に対する警告にもなるし、ウクライナの援護射撃にもなる。
だが、そんなことは天地がひっくり返っても絶対に起こらないのが今の日本だ。
トルコは100%やっても、日本は100%やれない。
トルコやイスラエルには一人もいないような反愛国主義者、つまり反日主義者の日本人が日本のマスコミや政界、財界、ネットで大勢を占めているためだ。
「主権国家という意味ではトルコが100点で、日本は0点ですね?」と三島由紀夫に尋ねたら「その通りだ、高澤君」という答えが返ってくるだろう。
一方で、イスラエルは極左のアメリカの庇護の元、パレスチナの無辜(むこ)の民を殺しまくっているが、日本は自国のためには全く何もせず、それでいて道徳を破壊する左翼と国民の怠惰によって人口はパレスチナ以上に減っているが、結局は悪しき常任理事国で核保有国で覇権国で独裁国家の中国やロシアが主権国としては、全く主体性のない岸田首相に対してやりたいようにやっているのだ。
東京五輪も、指摘したくはないが、竹田恒和氏と、電通の高橋治之被告に、パソナ竹中平蔵の多額の「中抜き」で、結局は「カネ」、「カネ」、「カネ」だった。
ヒゲの隊長、佐藤正久ですら、パレスチナ人を大虐殺しているイスラエルを応援しているし、もう完全に1ミリも支持できない。
もう自民党は完全に終わりである。
…と言いつつ、小野寺五典には期待しているが。
連日、最大派閥の安倍派で我が世の春を謳歌した国会議員が強制捜査を受けているが、完全に思考停止したバカ政治屋しかいない。
日本人の最大の敵は自民党である。
正直言って、ブログやYouTubeで応援して下さる数人を除けば、私を支持する人は誰もいない。
だが、今こそ日本を取り戻そうと思う人がいるなら、どうか今一度この文章を読んでほしい。
今の日本には石原慎太郎をはるかにしのぐ傑出したリーダーが必要だ。
三島由紀夫に匹敵する次代のリーダーが。
ただXでは、私がこの1年、いくらポストしても、いいねが全く1個もつかないため、今の日本国民には私に対する味方も支持者も一人もいないと捉え、当分は静かにしています。
需要が全くない男(笑)。
日本には愛国主義者が不要らしい…。
事実、日本で50年間生きてきて彼女がいたこともないし、友達もほとんどいない。
しかし、そのうち、群馬県の町のように、20%が外国人となり、やがて日本人と見分けのつかない華僑、中国化、韓国化(朝鮮化)し、公務員になって、参政権を持って、日本人自体の極端な少子化の進行によって、そのうち、日本の領土は中国と韓国の主導権争いになるだろう。
皆いぶかしがるかもしれないが、事実、テレビの中は完全にそうなっている。
完全に日本は終わるのだ。
イスラエル建国以前のユダヤ人に日本人はなる。
かつての進駐軍のように、外国人の都合によって神社仏閣は取り壊され、無力な日本人が世界中に雲散霧消、散り散りバラバラになってイスラエルの逆歴史を辿るのだ。
―であるから、今の多くの日本人から嫌われてでも、神道の神々や日本人の死者に対して絶大な敬意を持ち、神社仏閣を守りたいと願う私個人が、日本を守るために一人でも頑張るーのである。
■少子化問題について
(朝日新聞 2023年12月25日)
「子ども3人以上の大学無償化」にこだわる岸田政権の政策に批判が集まっているが、少子化問題については、川島なお美さんに対して「子ども3人産め」と言った浜田幸一(ハマコー)のように、政治家がたとえ嫌われ者になっても、女性に対して出産をお願いする以外に方法はなく、これまでの政府のように偽善的な美辞麗句を弄(ろう)して、国民から1兆円もの税金を徴収し、お金だけバラまけば済むという話では断じてない。
まず今日の極端な少子化は自民党政治と関係省庁の「失政」であり、国民から1兆円を徴収する前に、自民党は関係省庁共々今すぐ謝罪して責任の所在を明確にするべきだ。
事実、最も貧しい戦時から終戦直後にかけて、3627万人もいるとてつもなく人口の多い日本の高齢者、団塊世代は産まれたのである。
少子化は加速して日本は消滅しつつあり、現実は厳しい。
また、元通産省の藤和彦氏は「【討論】地方破壊は日本の死[桜R2/2/15]」で、戦後の中絶の多さを指摘しており、宗教倫理の不在がこの国の少子化に拍車をかけている点は否めない。
そしてハマコーさんの場合は極論だが、私の団塊ジュニア世代(1970年代前半生まれ)から、女性が社会的役割を完全に放棄してきたことは否めない事実である。
なぜなら、社会学者の宮台真司氏によれば、80年代後半から女性がコミュニケーションの主導権を握り始めて、90年代にはほぼ女性が主導的な立場となって、ほとんどの男性が高齢者以外の女性との関係性を築けなくなり、ほとんどコミュニケーションを取れなくなってしまう。
しかしながら依然として地域性から男性がコミュニケーションの主導権を握っている、例外的な九州と沖縄の出生率が他の地域よりも軒並み高いことがそれを証明している。
文化人類学の代表格で、サルトルを論破したことでも有名な、デュルケムの影響を色濃く受けているレヴィ=ストロースが「社会にとって女性は関係の宝であり、社会的稀少価値である」と言うように、日本は完全に70~80年代生まれの女性が機能不全に陥ってしまったのである。
一方でその世代の親にあたる現在70代後半の団塊世代は、うつ病や統合失調症など、人格障害の要因となったカラーテレビが普及する前で、女子だけが熱中するようなメガヒットアイドルも当時はなく、「巨人、大鵬、玉子焼き」と言われるように価値観が共有できたので、世代的に誰とでもコミュニケーションが取れるような女子しかいないため、結婚できた。南こうせつや奥田瑛二も、無名でお金のなかった大学時代に、女子の方からアパートに押しかけて来て、そのままその女性と結婚したのである。
それくらい、しつけられていた団塊世代の女性と、全くしつけられなかった団塊ジュニアの女性は天と地くらいの差があって、女子があいさつすらしてくれなかった私の世代では全く考えられない別の世界の話だ。
そして現在50歳前後である私たちの大半に子どもはなく、第三団塊世代は存在しないどころか、この世代が出産適齢期の年に、明治期を入れて過去最低の出生数を叩き出してしまったのである。
国を憂えた私は、同じ北海道から目的や政策なしに自民党に応募して国会議員にまでなってしまった、新自由主義者の杉村太蔵氏(森派)とは大きく異なり、団塊ジュニアの当該世代として、極めて深刻な少子化を憂えて具体的な政策を提言するために2000年の宏池会の国会議員の公募に応募したが面接すら叶わず、案の定、その5年後の2005年には、私の出身市であり、日本の中で最も育児がしやすい恵まれた環境の札幌市の出生率は、中学・高校と1学年だけで12クラスもあった団塊ジュニア世代が出産適齢期にも関わらず、昭和40年の1.93から、全国でもそして日本史上でも過去最低と思われる0.98まで一気に急落したのであるー。
少子化の原因は非常に多くあるが、旭川いじめ凍死事件に象徴されるように、北海道は北教組が強くて小学生がトラウマになるような「はだしのゲン」の押し付け教育は盛んでも、肝心の道徳教育は小学から高校まで完全に皆無であり、団塊ジュニア世代の女性が全くしつけられていなかったため、コミュニケーションはおろかあいさつすらせず、当該世代の女性が集団で社会的役割を放棄し、道徳を排除した北教組と朝日新聞を始めとする左派マスコミが、そのような「悪しき社会的合意」を形成して、今日のアノミー(社会学用語で道徳退廃による社会の混沌状態)による社会衰退に瀕しているというのである。
「(左翼の多い)団塊世代はバカが多い」(百田尚樹)
(朝日新聞 2023年12月24日)
高齢者が3627万人もいるにも関わらず、2023年の出生数は72万人台まで落ち込む見通しだ。
私が2000年の時点で自民党の政治家になれていたら、このようなことには絶対になっていなかったと断言できるが、時すでに遅しである。まさに司馬遷の言うように、「天の力は微なり」である。
岸田政権が本気で少子化対策を考えるなら、(私が明大商学部で同じクラスだった熊本出身の、園田博之元衆議院議員の長女を除いては)同じクラスの女子からあいさつすらしてもらえず、女性と全く付き合えないまま50歳になってしまった私が、出産適齢期である20~30歳(藤田ニコルさんやみちょぱさんの世代の女性)とどのように出会って、人間関係を構築していくかであるが、まず全くしつけられておらず、モバゲーを始めとする軽薄化、多様化し過ぎた娯楽漬けになってしまっており、カナダやインドのような、文化的な女性が女性の方から話しかけてくるような国にでも行かない限り、家庭を築くことはおろか、一生1ミリも女性と出会えないまま、人生を終えるのが関の山なのである。
つまりこの国では少子化対策を1兆円もの税金をかき集めて無駄遣いする(ウハウハしたい)ためだけに、対策それ自体の机上の空論を自己目的化しているだけであって、政治家や官僚、自治体の誰一人として少子化の原因から完全に目を背けて、現実を一切直視していないのである。
■道徳教育と教育勅語について
(朝日新聞 2023年12月20日)
広島市の松井一実市長が職員研修で教育勅語を引用して朝日新聞から叩かれたが、江原啓之さんは著書で今こそ必要なのが教育勅語と書いている。
「『世の中の まことの道の ひとすぢに わが国民(くにたみ)を をしへてしがな』
(生きていくうえで必要な道徳観を国民にきちんと伝えたいと切に願っています)
明治天皇の国民に対する大御心がひしひしと伝わってくる一首ですが、それにしても、なぜ明治天皇はこれほど強く道徳心というものを大切にしてほしいとお考えになったのでしょうか?…教育勅語の十二徳
…ここに示されるすべて、まさに古き良き日本の叡智からの言霊です。
…それなのに、「国のために」といった言葉を誤読して、戦時下を想起させるなどと否定する人もいるそうですが、私にはそうは思えません。」(江原啓之 著「言霊のゆくえ」)
このように江原さんは「言霊のゆくえ」で、明治天皇の道徳に対する思い入れの強さについて論じている。
だが対照的に、今日の日本の社会衰退の元凶である朝日新聞は、12月20日の社説でこう締めくくっている。
「『負の歴史』の史料として触れることを除けば、教育勅語を生かす方法などありえない。」
また、元海上保安官の一色正春氏はXで、「教育勅語の逆は親孝行をするな 兄弟姉妹は仲良するな…」と、教育勅語の十二徳の逆を勧めるポストで、教育勅語の十二徳の重要性をわかりやすく知らしめている。
そして事情は全く言えないが(数年前のNHKの特番で、道徳の重要性に言及したナベツネさんに相談の手紙を出したことはあるが)、道徳と天皇(明治天皇以降の)、皇室の結びつきの強さは、実際、今私がここにブログで書いている通りなのである。
なぜなら、私が幼い時から見てきた道徳的な○○から「○○」されたのが、「教育勅語に限らず、美輪明宏のようにいろんな道徳を学べ」と言わんばかりに大学受験を控えた高校時代に譲り渡されて、私が20代から手に取って読み、道徳や哲学を始める契機となった一冊が、昭和56年、1981年に数研出版から発行された「精説 倫理社会」第26刷である。
○族の流れを汲むような、それこそ美輪明宏のように上品で誇り高く精神性が高くて洗練された人は、アサヒ新聞がざわつくような教育勅語を、押し付けることもしないのだろう。
ただ、私がすさまじい団塊世代の受験戦争の高校時代に、北海道から六大学に進学するためにZ会をやるよう勧めてくれたが。
悠久の時の流れの中で、それこそ50年の長きに渡る空虚な人生の中で、気に留めるような重要な資料を残してくれた。
それはスピノザやヘーゲルの言う「必然」であり、老子の言う人それぞれにある「道」、道徳経である。
そして私が生まれた1973年11月の前後、10月13日に秋田の聖母が現れて「悔い改めよ、さもなくば天罰が下る」と説き、そして12月には中国の湖南省で「老子 道徳経」が出土した―。
そして皇室に関して言うなら、世の中には人に言えない非常に多くのこと、一部関係する人を有名なシリーズの題材に取り上げた横溝正史の日本の古き良き地方の土着的で文化的な世界観と日本独特の気質を備えた群像とを投影し尽くした、そして戦時下からの長きに渡る「事実は小説よりも奇なり」という言葉だけではおおよそ表現し尽くせない、知られざる驚愕の長きに渡る事実と、神がかった強固な因縁で覆いつくされたような、人に言ってもおおよそ理解されないような全く話せないことがたくさんある。
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