【時事まとめ】相次ぐ乳幼児の放置死・遺棄致死と政治家、メディアの道徳の必要性①

「大人の不作為(ふさくい)」による罪のない乳幼児の死亡事例が後を絶たない。

(2022年9月6日 朝日新聞)


会見でヘラヘラ笑いの“園児置き去り死亡”幼稚園にネット大激怒「はらわたが煮えくり返る」(女性自身) - Yahoo!ニュース


 静岡県牧之原市の幼稚園で、3歳の園児が送迎バスに置き去りにされ死亡した事件。認定こども園「川崎幼稚園」は9月7日に記者会見を開いたが、園長や副園長の態度に非難轟々となっている。

 送迎バスに3歳の園児を放置して死なせた事件で、「川崎幼稚園」(静岡県牧之原市)の増田園長が開いた会見に非難が集まっているという。


 親御さんの気持ちを考えたら、このような初歩的で、やる気のない「送迎バスに放置して死なせる」という、子どもの多い団塊ジュニアの時代を通しても、全くなかったこのような事故というよりも、事件については、まさに「過失(事故)よりも、殺人(事件)に近い」という思いだが、増田立義理事長兼園長(73)が千奈ちゃんの名前を言い間違えて、遺族の感情を逆なでることもさることながら、『薄ら笑いを浮かべながら「そっか、廃園になるかもしれないね(笑)」』(「女性自身」)と発言したことに対しては「まさに日本の社会衰退を象徴している」という感想を持った。


 私がサマーランドで大観覧車を回していたころは、声を出したり、閉園後も何度も回したりして、ゴンドラに誰も残っていないかをよく確かめたものだが、バスなら数秒の視認で事足りるし、そのような最低限の確認を怠ったのはバスの運転手本人であり、園長に監督責任があるとは言え、増田園長だけを個人的に責める気はない。

 しかしながら、団塊世代の増田園長の「廃園になるかもしれないね(笑)」という言葉は聞き捨てならず、生前、左翼の多い団塊世代を戒めていた三島由紀夫とは正反対のものなのである。

 つまり、「3歳の園児よりも、自分たちの園の存続をいの一番」に考えている時点で、ダメなのである。


 (2022年9月19日 朝日新聞)


 今の日本は、イーロン・マスクの言うように「消滅しつつある」のであって、高齢者が3627万人もいるのに対して、今年の上半期の出生数は40万人にも届かず、日本が存続していくためには、子どもは有史以来のどの時代よりも「宝」なのである。

 しかし、500万人もの認知症患者を含む3627万人の高齢者を支えていかなければならない子どもを安易に殺してしまっても、団塊世代の老人は、亡くなった子どもと自分たちの事業を秤(はかり)にかけても、子どもの命ではなく、自分たちのことしか考えていないのである。

 その点、バタイユ哲学を信奉していた三島由紀夫は今の団塊世代とは全く真逆の考え方であった。


 「三島自決」は彼の美学とイデオロギーによる死というよりも、40を過ぎた時点で、「自分は早く死んで、後進の若い人たちに道を譲らなければならない」と考えたのである。

 なぜなら、当時の三島が、もし政治的な理由だけによって死を選んだとすれば、三島には理性がないということになる。

 三島は大成した文学者であり、元官僚で、知名度もあり、政治的に日本を変えたい「だけ」なら、選挙に出ればよかっただけの話であって、友人の石原慎太郎ですら、三島と比べれば、政治家としては非常に見劣りするものであり、石原は官僚出身でもなく行政経験者ではないのである。

 つまり、三島の本質的な動機としては、文明が存続していくためには、老人が若者にすべての財産を残して死んでいかなければならないというバタイユの思想が大きく影響していたのである。

 しかし今の時代は、高齢者が3627万人に膨らんでしまった状態で、3歳の園児が亡くなっても、子どもではなく事業を優先する園長の心ない言葉があったり、高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違いで、子どもが犠牲になるという事故が後を絶たないのである。

 無論、日本の高度成長の立役者は、「金の卵」や「モノ作り」の当事者である今の高齢者であり、高齢女性に至っては、少子化の元凶となってしまった団塊ジュニア~80年代生まれの女性に比べれば、コミュニケーション能力がすこぶる高く、事実、見事に団塊ジュニアを産み育て、今の介護の現場を担っているのも高齢女性であり、まさに文化人類学者レヴィ=ストロースの言う「女性は関係の宝」を地で行く黄金世代だったのである。

 しかし今日の日本は、道徳や哲学よりも「科学偏重主義」、もっと言えば、マルクス、共産主義のような「唯物主義」に陥ってしまい、延命のためだけの医療は進歩しても、高齢の寝たきり老人をサッカー元日本代表の槙野智章のように若返らせることはできず、この事が致命的であって、科学は全く万能ではなく、それどころかがんすら治せないなど、無力に近いのであって、かつ日本特有の民間病院の多さもあり、高齢者の重みで日本が沈んでいくことにしかならず、このタイミングで起きてしまった原発事故と廃炉の難しさと相まって、「中途半端な科学が日本の仇になっている」という他ないのである。

 高齢者を含めた人の命は確かに重い。

 「重い」が、日本は世代間バランスがあまりにも悪すぎるのである。


(2022年9月6日 朝日新聞)

 9月5日に川崎幼稚園に通う3歳女児が送迎用のバスに長時間放置されて死亡し、またその前日の4日に海で発見されていた幼児の遺体が、5日になって高岡市で行方不明となっていた富山県の2歳の子であると特定された。

 極端な少子高齢化にあえぐ日本で、9月5日に貴重な命である2歳児と3歳児の死が相次いだ。

 

(2022年9月5日 朝日新聞DIGITAL)


 また同じ9月5日には、朝日新聞本紙には掲載されなかったが、出産されたばかりの女児が公衆トイレに遺棄されたというニュースがテレビで流れていて、5日のうちに「36歳の女性が保護責任者遺棄で逮捕された」という一報が朝日新聞DIGITALに掲載された。

 こちらの0歳児は一命をとりとめたが、政界、財界、マスコミなど、既得権で裕福に暮らせている階層が存在する我が国において、このような事態が頻発しているのは実に「救いのない国」であるという他ない。



(2022年8月3日 朝日新聞)



 また、少しさかのぼって先月の8月2日には、21歳の母親が車に2歳の長女と1歳の長男を放置して死なさせ、保護責任者遺棄致死で逮捕されるという事件も起きていた。

 戦後から道徳を全否定してきたことで、日本は2000年代から、深刻な「アノミー」、つまり社会学用語で「道徳退廃による社会の混沌(こんとん)状態」となって久しいが、この宮台真司氏や藤井聡氏がよく言われるアノミーによって児童虐待が激増した今となっては、社会衰退がさらに深刻化して、子どもを3、4歳に育てる前に、「育児そのものを放棄する」という傾向が顕著になっている。

 「人間」というよりも、子育てすら放棄しているため、「動物」としても劣った状態というのが今の日本人というにふさわしい。

 そして宮台真司氏によれば、90年代から女性がコミュニケーションの主導権を握り始めてから、団塊ジュニアの男性が女性と交流できなくなって、第3団塊世代がないどころか、私が過ごした札幌や東京などで極端な少子化となっていて、「団塊ジュニアの女性が出産適齢期」にも関わらず、札幌では出生率が0.9まで低下するなど、明治時代を入れても過去最低の出生数を記録しており、また藤(ふじ)和彦氏によれば、日本は戦後より「中絶大国」である。

 いかに日本社会が進化(退化?)して、道徳を全否定する左派メディアによって「人権主義」が謳歌(おうか)され、同性婚がもてはやされ、結婚しない自由や、出産しない自由、もしくはそれらの権利がメディアの全面に押し出されて、さらにはネットやスマホで娯楽が多様化して行っても、人間の道徳の必要性と、出産と育児の労苦は太古より変わることはない。

 むしろネットやスマホで垂れ流される膨大な娯楽や情報は、道徳を重視する作家のカレ・ラースンに言わせれば、統計的に言っても、うつ病などを引き起こすだけの「情報のゴミ」でしかないという。

 

 小林麻央さんが江戸時代に生きていたら、間違いなく60歳以上まで生きたが、日本人だけのガンを増やす亜硝酸Naやグリホサート(農薬)と一緒に、そうした「情報のゴミ」によって、日本人が心身共に内側から完全に破壊されているのである。

 どんなに良い言い方をしても、何も知らされない日本人はマスコミの「モルモット」でしかない。


 私は、ジェンダー関係の自らの全共闘世代のイカれたイデオロギーによって道徳の必要性すら解せない日本哲学会を完全に下に見ているが、2015年に日本哲学会会長に就任した2009年の一橋大学の加藤泰史氏の論文には役立つべきところがある。

 それは「3 嬰児殺しの事例研究と尊厳の毀損」という項である。

 氏の論文によれば、18世紀のドイツでも、今の日本と同じように、若い母親による「嬰児殺し」が社会問題となっていた。

 論文で言及するペスタロッチによれば、裕福な女性ならば、このような犯罪は起こさないのであって、このような事件が増えているのは、私が言うような道徳ではなくて、日本の格差や貧困によるものだという見方は容易に納得できる。

 しかし、まず竹中平蔵ら、日本の中間層を破壊して、格差を拡大させて、日本人の労働力を安く買い叩くだけの新自由主義を持ち込んだのが菊池英博氏の言うように、「道徳のない徒」であることは疑いようがない。

 道徳に否定的な三橋貴明や山本太郎が、いくら竹中平蔵を非難しても、「法的に彼を訴えることはできず」、完全に道徳の問題なのである。

 そして、ペスタロッチの言うように「嬰児殺し」をする若い女性が「制度の弱者」ということもできる。つまり、加藤氏によれば、この女性を死刑にできないから、国家の正義が限界に突き当たるということだが、道徳を排除して(田原総一朗と全マスコミ)、格差や貧困を生み出している(竹中平蔵)連中が、間接的に嬰児を殺しているのは自明の理であり、日本の場合は、格差や貧困以外にも、若い女性に「嬰児殺し」をさせてしまった道徳のない男性の問題もある。

 つまり日本には、道徳を全否定する田原総一朗がテレビで応援してきた竹中平蔵においても、若い女性に未婚で出産させる未熟な一般男性においても、「道徳」という選択肢がないのである。

 しかし同論文で哲学会の加藤氏は残念ながら、「(間接的に嬰児殺しという状況を生み出してしまっている)竹中平蔵を法的に訴えることはできない」という現実を直視せず、ペスタロッチの道徳(キリスト教)ではなくて、観念的な自由や権利だけに固執して、カントの「法/権利」という安直で無意味な結論に飛びついてしまっているので、精神の根っこは同じ団塊世代の増田園長と同様、バカという他ない(具体的に何一つ変えられないので)。

 なぜなら、加藤氏の言うように、道徳をバカにして、自由や権利だけを増長させても、今、現に、嬰児殺しが起きているのだから。


 百田尚樹「団塊世代はバカが多い」


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「道徳」で新自由主義と人権主義から日本を守る / 哲学者 高沢かずなり

「哲学と道徳のある政治」で、新自由主義と人権主義、中国化から、日本の領土領海、生命財産、戸籍、道徳(社会性)を守る。

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